監査業務第一課の加藤です。

二年前のブログで「夏の間に買いだめしておいた“怪談噺”の本を晩夏から冬にかけてじっくりと読みふけり、移りゆく季節の中で、彼岸の向こう側にいる人々に思いを馳せてみる」のが我流の怪談のたしなみということを書きました。

いったいそれは何のこだわりなんだと思われる節もあるのですが、誰が何を言おうとその考え方はブレることはなく、今年も怪談本が並び始めた書店に向かい、せっせせっせと買いだめするのであります。

既に新刊を何冊が仕入れてはいるのですが、新刊の紹介はまたの機会にして、今回は、この二年間で読んできた中でも“最恐”のものをご紹介いたしましょう。

 

「残穢」(新潮文庫)小野不由美 著

読み方が難しいタイトルからして不気味な感じを醸し出していますよね。「ざんえ」と読みます。怪談にしては珍しい長編小説なのですが、なんと日本の代表的文学賞である山本周五郎賞を受賞している作品でもあります。

さて、この“残穢”とは何でしょう。読んで字のごとく。「けがれたものが残って」いること。この作品では主に住んでいる場所や部屋にまつわる因縁話が扱われているので、残ってしまった穢れとは、つまり「土地そのものに残ってしまった、そこに住んでいた人々の情念や無念といったもの」をさしているといえます。
主人公の小説家が、自作のあとがきで読者からの怪談話を募るところからお話は始まります。次々に投稿されてくる内容を読んでいく主人公は、その中にとても違和感を覚える投稿があったことに気づきます。調べると、その怪異と同じ症例の怪異があったこと。そして、その怪異は同じマンション内の別々の部屋でおきていたことが判明します。

これだけであれば、マンション自体が事故物件だった云々というオチがつきそうなものですが、このお話はそんな簡単に終わるものではなかったのです。しかも、そのマンションには事件・事故の類の瑕疵は何もなく、皆が口裏を合わせてそういう事実を隠蔽しているということも一切ないという。
ならば、その怪異を引き起こしている原因は何なのか。調べをすすめるうちに、マンションでの怪異とは関連がなさそうな怪異が次から次へと表れ、やがてそれらすべてに関わってくる、土地にまつわる因縁と黒い大きな闇が浮かび上がって来るのです。

怪談にしては、スケールの大きな話なのですが、根底に蠢く暗くて重い人間の情念が、汚泥のごとく読むものの心にまとわりついてきます。怪異の恐ろしさ、というよりも、日常的に生活している“場”に、しみついた人間の情念の恐ろしさ。それが、もし、自分の住んでいる場所にもあるとしたら、と想像するだけで、なんとも言えない、後味の悪さを感じてしまうのでした。
あくまでもフィクションとして語られはいますが、実在の人物が登場する場面もあり、どこまでが虚構でどこまでが事実なのか。メタフィクションな構造が、読後感の不気味さを増幅してくれるのです。

 

「怪談狩り 市朗百物語」(角川文庫)中山市朗 著

古の頃から「怪を百話語れば、怪異が訪れる」という謂れがあり、古典的な怪談会のスタイルとして確立されている「百物語」。その作法は時代とともに変遷していると言われているものの、書物というスタイルでの編纂は、時代を経ても変わらないもの。百話形式での怪異を活字で読む醍醐味は、本当に読み終わった時、怪異が訪れるのかどうかというスリリングな駆け引きをしながら一話一話を読みこなしていくところにあります。

特に、中山市朗氏の著作は、氏が蒐集してきた「すべて実話」だから、なお恐ろしい。一話あたりはページ数にして、2~3ページの超短編ばかり。そこには、体験してきた人がその時何を視て何を感じたかが手に取るようにわかるほどのリアルな“空気”が描かれており、さも自身が体験しているかのような臨場感を与えてくれる。その臨場感は、いつしか、「そういえば、俺も子供の頃、こんな不思議な体験をしたことがあったよな」とか「あの時は何も思わなかったけれども、今思えば、あの現象はいったい何だったのだろうか」など、自分自身も怪異にみまわれた経験があるのかもしれないというノスタルジックな思いに囚われてしまい、ついついページをめくる手を止めてしまう…。

著者の中山市朗氏自身は「霊感」のようなものはないそうです。いつも全身真っ黒の服を着て、貫禄のある容貌で怪異談を蒐集したり、心霊スポットを巡ったり。怪異の方から逃げていってしまうのではないかというほど存在感の強い人。でも実際には収集される怪異談はつきることもなく、怪異談自らが狩られにやってきているかのうようです。まさに、本書のタイトル通りの「怪談狩り」。粒ぞろいの怪談噺がそろっています。

ちなみに、このシリーズ。現在、第二巻「怪談狩り 赤い顔」、第三巻「怪談狩り 禍々しい家」が文庫で発売されています。世の中にはたくさん怪異があるものなんですね。

 

「拝み屋怪談 禁忌を書く」(角川ホラー文庫)郷内心瞳 著

「書いてはいけない禁忌の話」というものが世の中にはあるそうです。
書こうとすると何者かが妨害する。原稿がなくなったり、保存したはずの原稿データが消えてしまったり…。本著には、そんな「書いてはいけない禁忌」を、命を削りながら書き続けた著者の体験談が記されています。著者の郷内心瞳氏は、宮城県に在住の怪談作家。職業は“拝み屋”さんだそうです。

氏のHPを拝見すると、「お祓い、先祖供養、各種加持祈祷…」と、その職業名からおおよそ推察できる業務内容ではありますが、著作に出てくるエピソードやHPに掲げている内容を読む限りでは、祈祷師めいたイメージよりも、依頼主の心に寄り添って悩み事や不安などを解消する、心のケアに重きをおいたお仕事をされているようです。強いていうならば、地元のカウンセラーといったところでしょうか。

そんな氏が体験してきた怪異や不思議な話。依頼主とのカウンセリング中に起きた出来事などが、先の「禁忌にまつわる執筆談」を挟みながら語られていきます。本当にこんなことが世の中に起こり得るのか、と言うほどの奇妙で不思議な話が矢継ぎ早に語られる中に、時折、人間の心の弱さや脆さといった“負”の感情への描写が出てきます。時に人はそれに立ち向かい、時に人はそれに寄り添い、時に抗いながらも、皆必死で生きているんだという、生者への教訓めいたエピソードもあり、これは本当に怪談の本なのか? と首をかしげてしまうこともしばしば。

そう、この本の正体は。
この世のものではないものの存在を描きつつも、日々、懸命に生きている僕たち生者に対して、生きることの素晴らしさや人間愛の美しさを教えてくれる。怪談本である前に、人間ドラマの本でもあるのです。もっとも、お化けなんかよりも恐ろしいのは人間である、ということも含めての、“人間ドラマ”なんですけどね。

ちなみに、本作は「拝み屋怪談」シリーズの二作目になります。一作目は「拝み屋怪談 逆さ稲荷」、新刊で発売されたばかりの三作目が「拝み屋怪談 来たるべき災禍」どれもこれも禍々しいタイトルですね。取り扱いには注意が必要です。

監査業務第1課 加藤 智弘

  
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