節分が過ぎ、立春を迎えた。
節分が過ぎると、暦の上では立春を迎える。豆をまき、恵方巻きを食べた翌日から春だと言われても、正直なところ実感はない。外に出れば空気は冷たく、朝の布団から抜け出すのにも少し気合がいる。それでも、どこかで「もう冬の終わりが見えた」と思ってしまうのが、この時期らしい。
 
立春という言葉は、毎年少し誤解されている気がする。春の始まりと聞けば、暖かさを想像するが、実際の二月はまだ冬の延長だ。むしろ寒さの底に近いこともある。それでも立春を境に、日差しがわずかに変わり、夕方の空が少しだけ明るくなる。その小さな変化に、春の気配を探してしまう。
 
季節の言葉は、思い込みを誘うものが多い。たとえば「小春日和」。名前から春の穏やかな一日を連想するが、本来は晩秋から初冬に使われる言葉だ。立春を迎えた二月の暖かい日に使いたくなるが、実は少し違う。それでも、そう呼びたくなるほど、春を意識し始めるのがこの時期なのだろう。
 
食べ物にも、同じようなズレがある。「鰆(さわら)」は春の魚と書くが、二月に店先に並んでいても不思議ではない。関東では冬が旬とされることもあり、漢字の印象だけでは季節を測れない。ちなみに鰆は出世魚で、成長とともに名前が変わる。節分で一年を区切り、立春から新しい流れに入る今の時期に、どこか重なる気がする。
 
「春一番」も、立春を過ぎてから吹く風だ。春を告げる存在でありながら、実際はかなり荒っぽい。穏やかな春を想像していると、少し裏切られる。春は、静かに始まるとは限らないらしい。
 
節分と立春は、季節の境目を意識させる行事だ。まだ寒いが、確実に冬は終わりに向かっている。はっきりとした変化はなくても、少しずつ空気は動いている。春は、始まったと宣言されたあと、ゆっくり追いついてくる。この曖昧さを受け入れるのが、二月の楽しみ方なのかもしれない。
監査業務担当の清岡でした。
 

  
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