CIMG7466.jpgさて、8月のことです。
東京の会社さんからお誘いを受けて、カンボジア視察ツアーに参加しました。
カンボジアという国は近代にはいってから、徹底的に痛めつけられた国ですので、治安が悪い、危険、というイメージがありました。 ちょうど80年代にはラフィンノーズというパンクバンドの「トキオ・カンボジア」という救いのない歌もありましたねえ(知らんて)。
で、たどり着きました、プノンペン。だいぶ印象が違います。僕の中では、地雷と難民、という先入観だったのですが、平和な雰囲気、街も活気があります。 で、また食べ物が美味しいこと。なんでも、「中華、ベトナム、タイ料理のいいとこどり」で、「中華みたいな品数、ベトナムよりあっさり、タイほど辛くなーい」だそうです。なんと絶妙。
経済成長も著しい部類にはいる国です。この世界不況の時代で、成長率は年に2桁台。未来を信じる人たちがたくさんいるなー、という感想を持ちました。

CIMG7543.jpg初日はパソコン店の見学や、歴史博物館に行ったりしました。
2日目は貧民層の人たちの生活を見て、ポルポトの虐殺の現地を見て、日本語学校の生徒たちと話をしたりと、盛りだくさんでした。
そのあたりから、この国の現実みたいなものを、外面だけからではありますが、ふと感じて慄然としました。
貧富の差がものすごく激しいです。政治的に安定はしているので、最下層の人も平和に暮らしてはいます。でも子供を物乞いに使ったり、働かせたりして、教育を与えないことで、その将来を閉ざしています。そういった子供は、この状況から這い上がるのは絶望的です。
で、本来こういうことを考えて国をひっぱっていくはずの世代が、ポルポトの粛清でざっくりいなくなっている。100万人以上の人、特に知識人の人たちが、意味のわからない政治のために殺されたので、政治や文化の継承ができない。
身内を殺されたという人もまだ多く、話も聞けます。いったい人間は人間に対して、どれだけひどいことをしてしまえるのか、不気味に感じました。
考えることをやめてしまった人間は、人殺しでもなんでもできるみたいです。だから、考える土壌として、教育とか、文化とか、そういうものが不可欠なのでしょう。
教育といえば、日本語学校の生徒たちは、貧しくて大学に行けない18才から30才くらいの人たちが通ってきています。1年目は日本語、2年目はビジネスを教えるということですが、結局ビジネスを教えられる先生がいないことと、日本での就労ビザがおりないということで、卒業生は苦労しているようです。
それでも経済発展の見本の国ということで、日本への憧憬はすごいものがあります。内容はともかく、学びへの情熱は、そのまま這い上がりたいという欲望と直結しています。
1000ドル稼ぐ(年収)というのが、彼らの夢で、ひとつの到達点だそうです。どーなんだろう。日本語より英語やっておけば、と思うのですが。

CIMG7472.jpg街を見渡せば、ODAで日本企業が掛けた橋があり、韓国資本の高層ビルは建築中で、中国の進出も多くみられます。よってたかって、この国へ投資をしています。ということは、今後はよってたかって、この国を食べにくる、ということです。
その中からチャンスをつかみ、努力すれば報われるという状態になるために、土台となるのはやはり教育です。
文字が書ける、計算ができる。科学的、合理的にモノを考えることができる。日本の中では当たり前になっていることが、この国ではできていません。では、できるようになるには、何をすればいいのか。どのくらいの時間がかかるのか。そこに置き去りにされてしまう人たちはどうなるのか。
つらつらと、蒸暑い空気の中、遠くメコン川から吹く風で汗を乾かしながら、そんなことを考えていました。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright(c) 2024 FARM Consulting Group All Rights Reserved.