社員税理士の嶋﨑です。

 江戸時代の奈良では、神のお使いである鹿殺しは大罪。朝、自宅の前で死んでいる鹿が見つかったら大変。なので、鹿の死体を慌ててまだ眠っている隣の家の前にこっそり持っていきます。それを見つけた人は、まだ眠っている隣の家の前に持っていく。そんなことから奈良の人は自然と早起きになったとか。

奈良ではそれだけ鹿は大切な存在。私の息子もなぜかそう思っているらしく、先日宮島に修学旅行に行き帰ってくるなり「いやー、宮島の鹿は奈良の鹿と違って凶暴やわ。奈良の鹿は神の使いだけあって、やっぱりお上品なんやろうな」と話してくれたのです。「息子よ、君は3歳の時にそのお上品な奈良の鹿に蹴飛ばされて、1メートルほど吹っ飛び号泣でしたよ」とは息子の名誉のために話しませんでした。「そうやな、奈良の鹿は神の使いやからな」とお手本のような同調をしたにもかかわらず、父へのお土産はゼロ。号泣しそうでした。

 

小学校4年生から大学へ入学するまで奈良に住んでいた私にとって、鹿は日常そのもの。通学路ではもちろん、学校の校庭にも、時には家の庭にも普通にその神の使いはいました。中学生になると、奈良公園で毎年写生大会があります。ある年の写生大会、お弁当の時間にその神の使いはわれわれのレジャーシートに土足で上がり込み、一人の気の弱そうな少年のお弁当を食べてしまいました。その年は、無傷の者たちが一つずつおかずを出し合い事なきを得たのですが・・・。次の年、前年の事故を踏まえて細心の注意を払いお弁当を食べ、無事に写生大会が終わろうとした直前、描いた絵をそのままにしてお手洗いにいった女子の絵が、無残にも神の使いのおやつとなり半分消えてなくなったのでした。その女子は茫然。無傷の者たちが絵を出し合うわけにもいかず、結局休みの日に再度描きなおす羽目になったそうです。その女子の絵が賞をとったのは、その女子の力か何らかの忖度があったのか、それとも神の力か今となってはわかりません。

 

そんな奈良の鹿ですが昔からどうしても疑問に思うことがあります。皆さまは奈良公園で鹿せんべいを買ってあげたことはありますでしょうか。ある人はわかると思うのですが、鹿せんべい屋のおばちゃんから買って、鹿にあげようと思った瞬間にすごい勢いで襲われ食べられてしまうのです。それなのに、大量に置かれている鹿せんべい屋のおばちゃんの鹿せんべいが食べられないのはなぜか?今度奈良に帰った時に鹿せんべい屋のおばちゃんに聞こうと思ったのですが、ネットサーフィンをすると同じ疑問を持った方がおばちゃんに聞いているではありませんか。おばちゃんが言うには「襲われることがあります」って、襲われることがあるんかーい!!

 

社員税理士の嶋﨑でした。

  
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