eiennnoko.jpg表紙が怖いので、ちょっと敬遠していた作品でした。

読み始めたら、止まらず、1日1冊、最後は1日3冊。アマゾンから届くのを心待ちにして読みました(ちなみに全5巻ね)。

虐待を受けた子供が題材なので、それはわかりやすいシンパシーを持って世界にはいっていけます。しかし、それだけではテレビのワイドショーと一緒で、「ひどい世の中だ」と嘆いて、それきり忘れてしまう、そういう流れになります。
小説というのは、作者が登場人物をいびり倒していびるほどに、センセーショナルな内容となって売れるものなのです。

しかし、この作品には忘れられない感慨が残ります。物語の構成の秀逸さと共に、あとからあとから、悲しさと希望が、交互にわきあがってくる感じ。
こういう読後感は、なかなか体験できません。それは、作者が登場人物と一体となって、現実と向き合っていく、その真摯で力づよい文章がそうさせるのでしょう。

虐待、放置を受け、心に傷を負った3人の子供たち。
過去に受けた傷、犯した罪から逃げることができず、全員が自分を責めながら生きている。まるで、しあわせからわざと遠ざかっているように生きているのです。
暗くおそろしい予感につつまれながら、10歳、27歳の、3人それぞれの出来事が語られていきます。救い、希望が、なかなか見えません。
しかし、そこに生きる(確かに生きている)全員に対して、運命を引き受け、抱きしめてあげているような、そんな存在を感じます。これはもはや、慈しむ神、ともいうべき存在です。
大きなやさしさと覚悟を、この作者は持っています。すごい人だと思います(作者がね)。
読書を通して、こんな感想を持つてのも、めずらしいことです。

で、もうひとつ、この作品は日本推理作家協会賞も受賞しています。「ミステリー」としても、かなり秀逸です。
誰が殺したのか?
に尽きます。いやあ、思い返すと、
「ここでキミがでてくるのか?!」とか、
「それは可哀想すぎるだろ!!」とかツッコミながら、
やっぱり必然といえば必然の犯人だなこれは、とか。

まあ、詳しくは語りませんが。

以下、本文より引用です。


互いの経験を、まるで自分が経験したかのような感覚で、受け止めようと努めている。相手が経験したことを、我が身が受けたらと想像し、自分の感情で、その経験を生きてみようと試みる。
とてもつらいことだった。悲しく、やりきれず、胸がつまった。実際に体の痛みを感じることもあった。
だが、そのつらさ、苦しみ、痛みから顔を上げると、ほかのふたりの顔があった。
自分ひとりでは、周囲の人々とは違う、生きる価値のない人間のように思えてしまう。なぜ、自分だけがこんな目にあうのかと、自分と周囲を呪う気持ちばかりがつのってゆく。
だが、ひとりではない。生きる価値がないかもしれないと思った自分が、ほかにもふたりいる……。それは、大丈夫、生きてゆけるということだった。
話し合えるということであり、笑い合うことだって、できるかもしれないということだった。

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