オペレーション部門の中澤です。
さて、前回、前々回とテーマにしました「カムカムエヴリバディ」の放送も4月にハッピーエンドで終了しました。
ドラマ中、3代目のヒロインも番組終了時には流暢な英語を話すようになり(ラジオ英会話を続けることによって(^^;))ラジオ講座の講師にまでなっていました。(すごい!)

そして新しく始まった朝ドラの舞台は沖縄。個人的には「美ら海水族館」にいつか行きたいと思っているのですが、沖縄といえば、今年は本土復帰50年の年になります。

第二次世界大戦では、唯一の地上戦があり20万人もの人達が犠牲になりました。

中でも一般住民の方が9万4000人も亡くなり、軍関係者よりも多くの犠牲者を出してしまいました。
終戦後、本土の為に犠牲になった沖縄は27年もの間アメリカ統治下におかれます。当時は、アメリカ仕様で、車は右側通行、本土への往来はパスポートが必要で、通貨は米ドルを使用していました。そして1972年、いよいよ日本へ返還されるのですが、まだ50年しか経っていないのだと、あらためて思います。日本復帰にあたって大プロジェクトだったのが通貨の交換でした。

 

復帰を目前に1971年8月「ニクソンショック」で当時、固定為替で1ドル=360円の価値が急速に下落するという事態に。ドルの価値がどこまで下落するのかわからない不安の中、沖縄住民の財産を守る為に動いた男達がいました。「ある時点までなら1ドル=360円での交換を保証する」という約束を日本政府にとりつけた事によって、一大プロジェクトが始動します。それは極秘裏に進められ、Xデーがついにやってきます。1971年10月9日。

 

この日一日だけ持ち込まれたドルは360円で交換するという情報を解禁。その日住民たちが持ち込んだ手持ちのドルは合計約6000万ドル(216億円)で、男達の努力が実を結んだ瞬間でした。しかし、本土復帰時の通貨交換はその時の時価という事になっていて、1ドル=305円にまで下がっていました。
本土復帰によってアメリカ軍は撤退と思われていたのですが、いまだに基地問題に揺れている沖縄です。しかし、基地がある事で雇用が生まれていると考える人達もいて、年齢層によっても米軍基地が存在する事のとらえ方は変化していっているようです。

 

今はウクライナの状況を伝える報道が多くを占めていますが、ロシアが侵攻する以前はミャンマーや、アフガニスタンの問題も報道されていました。いつもどこかで一般の市民が紛争や戦争で泣いています。世界平和の実現は人類永遠の宿題なのかもしれません。

 

“NO MORE WAR!”

 

See you next time !
(「Mr.サンデー」を参考にさせていただきました)

 

  
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