60cm超えの大物を釣りあげる夢と、とれたての新鮮なお造りを味わう贅沢。釣りが大好きだというS社のK社長が熱く語ってくれたのは、伊勢湾洋上での真鯛釣り。沖釣りと言えば、子供の頃、おやじの漕ぐグラスボートでしか行った事のない私。「ビギナーでも60cm超えの大物を釣った人がいますから」 その言語が私の琴線に触れた。

「是非、行かせて下さい」

4月某日。三重県鳥羽市本浦。船の停泊する湾は穏やかだが、沖は少し波が高い。メンバーは総勢9名。すべて顔見知りのため、船は貸切。私の他にもビギナーが三人。少し安心する。正午前、乗船完了。牡蠣の養殖用の筏が浮かぶ湾内をクルージングしながら、餌となるエビを水揚げに行く。

3月11日の大津波は、このあたりまで押し寄せ、すべての筏が岸の方まで流されたという。今は何事もなかったかのような光景。その中に、津波の恐ろしさが垣間見えたような気がした。船はスピードを上げて沖へ沖へ。穏やかな湾の風景はどんどん遠ざかり、波頭のたつ荒波が船底をたたく。船の艫に陣取っていた私は、巻き上がる波のしぶきの洗礼を受けた。

最初のポイントに到着。想像していたよりも波は高い。踏ん張っていれば、何とか立っていられそうだが…。竿を取り上げ、準備開始。仕掛けは活きたウタセエビを使う伊勢湾伝統の真鯛釣り「うたせ真鯛」 活きたままのエビを、死なせないように針につける。根気のいる作業だ。そして、この餌付け作業が、この後、私を悪夢へと誘う。

ポイントを変える事数回。私の体に異常が起きはじめた。風はかなり強め。波は1mぐらいはあろうかと思われる大波。寒さに震える私の体に、それとは別の震えがやってきた。餌付けの時は手元に視線が集中する。その度に私の三半規管は均衡を失っていく。それを繰り返したあまり、どうやら私は船酔いをしていたようなのだ。寒さと酔いから、やがて睡魔が襲ってきた。

「アカン、もはやこれまでか…」 心のなかでそうつぶやいた瞬間。
「これ、魚のアタリちゃうか!」 漁師のお兄さんがそう叫ぶ。
落ちかけた私の意識が、現実に引き戻される。竿を手に取り、海中深く沈んだ糸を手繰り寄せる。
今までとは何かが違う。アタリの感触を確かめながら、慎重にリールを巻き上げる。何かがあがってきた。蝶のように極彩色の羽をヒラヒラさせて海面に踊り出たその姿は、まるでモスラのようだった。

「ホウボウやな」
カサゴ目ホウボウ科に属する魚類。れっきとした魚だった。
釣れた喜びもつかの間。再び、私は船酔いと闘いはじめた。時折、水平線が波間に消えるほどの大きな波に船が翻弄される中、ひたすら機械的に仕掛けを海に投下する私。帰港するまでの間、私の意識は、荒波の谷間に埋もれていた。
19時前。本浦に帰港。
「はじめての沖釣りなのに、こんな大荒れの海ですいませんでした」 グロッキーな私を気遣って、K社長が声をかけてくれた。いつもはもっと穏やかだそうな。「でも、ボウズじゃなくて良かったじゃん」 同乗の人たちも暖かく声をかけてくれた。結局、本命の真鯛を釣り上げた人は一人だけだった。

翌日。釣り上げた獲物は三枚におろされ、バターソテーとブイヤベース風のスープに変身して、私の胃袋の中へと消えていった。

 

一部門 : 加 藤 史 也

  
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