オペレーション部門の中澤です。

Seventy-one years ago, on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

 

[和訳]
71年前、雲一つない晴れた朝、空から死が降ってきて世界は変わりました。
閃光と炎の壁が街を破壊し、人類が自らを滅ぼす道具を手にしたのです。
(オバマ大統領演説より)

 

以上は、2016年5月27日に広島平和記念公園を訪れた当時のアメリカの大統領、オバマ大統領の広島演説の冒頭部分です。ブログにも書いたのですが、今でも耳にも心にも残る印象深い演説でした。

今回も広島平和記念資料館で見てきた事を報告させてもらいたいと思います。

 

原爆が投下された時、同時に大量の放射線が放出されました。

放射線は人体の奥深くまで入り込み、細胞を破壊し、血液を変質させるとともに、骨髄などの造血機能を破壊し、肺や肝臓等の内臓を侵すなどの深刻な障害を引き起こしました。

症状としては、

吐き気や食欲不振、下痢、頭痛、不眠、脱毛、倦怠感、吐血、血尿、血便、皮膚の出血斑点、発熱、口内炎、白血球・赤血球の減少、月経異常など

 

外傷がまったくなく無傷と思われていた人達が被爆後、月日が経過してから発病し、死亡した例が多くあります。またさらに原爆は、爆発後、長時間にわたって残留放射線を地上に残しました。

その為に被爆後、身内の捜索活動、また救護活動に入市した人達の中には、直接被爆した人同様に発病したり死亡する人がいました。結果、年内に14万人もの人達が死亡したのです。

 

左の写真は兵舎内で被爆した男性の手の写真です。窓から出していた中指と薬指は皮と爪がぶら下がるほどの火傷を負いました。

その後、この二本の指には棒状の黒い爪が生えました。

その爪には正常な爪にはあるはずのない血管が通っていて彼が亡くなるまで黒い爪は生え続けました。

 

◆    原爆の開発から広島へ投下されるまで

原子爆弾の開発が進められたきっかけは、「ドイツで原爆の開発が進められているのではないか」と、恐れた科学者の意見からでした。

1939年(昭和14年)第二次世界大戦の開戦時にはもうアメリカは原爆の可能性についての研究を始めていました。そして6年後の1945年(昭和20年)7月16日ついに爆発実験が成功してしまいます。

たったの6年で恐怖の武器を作りあげてしまいました。

アメリカは原爆の開発が進む中、長引く戦争を終結させる為の手段として日本への使用を検討します。

投下目標の研究対象としての17の地域を選抜します。

それには立地条件が3つあり、

1、    直径3マイル以上の市街地を持ち、その周辺にも居住地が広がる地域を検討する事。
2、    目標都市は、東京-長崎間に位置する事。
3、    目標または照準点は、高い戦略的価値を持つ事。

これに当てはまった地域は以下の通り。

東京湾、川崎、横浜
名古屋
京都、大阪、神戸
呉、広島、山口、下関
小倉、八幡、福岡、佐世保、長崎、熊本

設定都市の多さには恐怖を感じました。

もしかすると、あの時の広島、長崎は自分たちの街だったのかもしれないのです。

 

原爆による効果の実証をとるために目標都市への空襲を禁止し、8月2日、投下目標を広島に決定します。

広島の人達はこんな悪魔の計画を知る由もなく、空爆が少ない事に安心をしてしまっていました。

そして8月6日人類史上初めての原爆が投下され、日を置くこともなく8月9日には長崎へも投下され、そして8月15日終戦をむかえるのです。

大きな犠牲を払って終わった戦争から71年後、現職のアメリカ大統領が初めて広島を訪れました。

私はその時にオバマ元大統領が折った折り鶴が見たくてどこに展示されているのかを探しました。

あまり目立たない隅に展示されていたので少々驚きましたが、見つける事ができました。

← オバマ大統領(当時)から子どもたちへ手渡された折り鶴
広島平和記念資料館でオバマ大統領を出迎えた2人の子どもたちに手渡されたものです。(二羽の内一羽を展示)

 

 

右の写真はオバマ大統領が記したメッセージと折り鶴です。

We have known the agony of war.
Let us now find the courage, together, to spread peace and pursue a world
without nuclear weapons.

私たちは戦争の苦しみを経験しました。

共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう。

 

この精神がまた世界に広がる事を願いつつ。

I guess I’ll close for now.
See you next time.

(参考)
広島市公式HP
広島平和記念資料館

 

  
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