以前家に金の成る木というのを買ってきて、育てておりました。どんどん枝も大きくなり、葉っぱも増えて迫力ある木になってきました。そこで家のベランダは狭くなって、事務所のベランダへ引越しさせました。いつか百円玉か出来れば一万円札が、金のなる木というぐらいなので、生えてくるのかと期待しながら毎日見てましたが、待てど暮らせど金は成りません。ひょっとしたら、この木にお金が生えるのではなく、お金が入ってくる要因が生まれて、どんどんお金が行列をなして入ってくるのか、とか色々考えながら見てたのですが、お金はまだ列を成してません。多分まだ着てないだけなんでしょう。

 しかし、よく観ると風か何かで当たって落ちた葉っぱが、土の上で新しい芽を出しておりました。植木鉢の外に落ちていたやつも、拾って植木鉢の中に置いておいたのですが、それもすべて芽を出してます。なんという生命力。これは金の成る木のクローンか??落ちてしまって、もうごみ状態の葉っぱが、一つの人格いや植物格として一本立ちしようとする姿は何とも言えづたくましい感じがします。という意味では、植物というのは無駄が無い。植物は動けない分、色んな事を考えているのかどうかは分かりませんが、動けないでも生きていける方法を持っています。いっぱい葉っぱをつけて、太陽光線を思いっきり吸い込む役割で葉っぱの存在があったり、あるときは雨の水滴をいっぱい浴びるためにあったり、はたまた風とかで落ちた葉っぱは一つの木として成長するための種となって活躍する。一石何長というのはこの事なんですね。そうしながら、どんどん自分の勢力範囲を広げていく姿は、面白いものがあります。

 ふと、我々の作ったもの、またはやっていることで、そんなものはあるのかな?と考えてみたんですが、どうしてもみつからない。目に着くのは、無駄なというかもったいない事してるなという事と、もっと考えると、もっと違う使い方あるやんとか、これでなくてもええやんとか、という事がいっぱいあります。金の成る木ぐらいの柔軟性というか臨機応変な対応、非常に我々にとって必要な要素なのかという事を感じながら、その新しい芽を植木鉢に植え直してやりました。ひょっとしたら、これで一儲け????

             やこやこ

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