まるやまもこのところ姿を見せない。彼ももう高校3年生なので、受験勉強に忙しいのだろう。最近は子供の数が少なくなってきていて、以前のように異常なまでの受験(「地獄」とまで言われてたのだから、おそろしいもんだ)は経験することはないのだろう。それでも、20年も生きてない人間にとっては一大事で、真剣になる時期である。広末涼子だって、けっこう苦労しているのである。まあ、そんな気持ちも3年も経てばすっかりと忘れてしまうものだけど。

僕が受験をした時期は、まさに受験人口のピーク時だった。倍率10倍はあたりまえで、30倍とか、ひどいところでは50倍とか、もうこれは実力とか運とか、そういう問題じゃないような気がした。これほど激烈な競争に勝ち抜くんだから、大学へ行く連中はものすごいエリートで、タフなすごい奴等ばかりかと思うと、全然そんなこともなくて、大学にはいった途端に人生の炎がすべて消えたように生きていくのだった。

高校生で現役だった僕は、世をすねた嫌な奴だったので、先生の言うことも聞かなければ、親の言うことも聞かなかった。「勉強しろ」といわれても、教科書に載ってない問題まで試験には出るのだから、やっても無駄だろうと、エドガーアランポーとか夢野久作とか、怪しげな小説ばっかり読んでいた。明日のジョー全巻を読破したのも、この頃だ。さらに悪いことに、ロックンロールの洗礼を受けてしまい、悪い友達とバンドを組んでどたばたして、気がついたら卒業式を迎えていた。もちろん受験など通るはずもなく、僕は浪人生になった。

どうも浪人生というのは先行きがふわふわしていて、けつの座りがよろしくない。こんな状況とはさっさとおさらばして、人生を謳歌しようではないか。そう決めた僕は、受験勉強に身も心も捧げることになった。朝から勉強、昼までパチンコ屋で過ごし、昼御飯を食べる。ごはんを食べると眠くなるので、夕飯は食べずに夜中まで勉強して、それから食べて眠った。それはもう、我ながらそら恐ろしくなるほどの勉強ぶりで、1日15時間ぐらいしていた。32だった偏差値は、84まで上がった。「おれは受験のプロだ」とまで思い上がっていた。

そんな努力も、大学進学と同時にまったく役に立たなくなるのだが、その当時は先が読めるわけではないから、ただ必死なだけだった気がする。それでも、その頃ついた習慣は今でも残っていて、僕はトイレに行くとき、必ず本を持って入るようになった。長いトイレなのだ。

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