ボランティアとは、自発的という意味だが、その中には2つの意味が含まれると思う。
やるべきことを、自ら進んでやるのか、やらなくていいことを、自ら進んでやるのか、の2つである。
今回の震災に関して、ボランティアの活躍はすばらしかった。
また、新しくボランティアという行動を選んだ人がたくさんいた。困った人、ハンデを負ってしまった人々のために、自分ができることはないか――そう考えた人は多かったはずだ。そして実際に行動で示した人もいたし、現地にはいらなくても、金銭的、物的な援助をしたりと、その活躍は多岐にわたっていた。
さて、それではやらなくていいことをやっていた人とは、どうだろうか。
「親切の押し売り」といってもいい行為もたくさんあった。マスコミで目立ちたい人、ナンパ目的の人、救援物資をもらいにくるだけの人。自分の家のゴミを、救援物資として送りつける人。当時は「救援物資」と箱に書けば、ただで送れたので、黄ばんだ衣服類や粗大ゴミの家電用品、なにを思ったのかスケート靴まで、とにかく要らないものを詰め合わせて、避難所まで送るのだった。

震災の直後の1月いっぱいくらいまでの、現地の状況は悲惨だった。飲まず食わずでの重労働、不眠不休でおまけに凍えるほど寒い。ボランティアで駆けつけた人たちは、3日もてばいいほうで、すぐに引き上げていく。それでも、いったん帰って体を休めて、また戻ってくる。やらなければいけないことが山ほどある。過酷な状況で、手抜きなし保険もなしで、仕事をしていた。
そういった人たちのことを、現地の人たちは決して忘れない。
朝から晩まで、煤で真っ黒になりながらカマド番をしていた人、黙々と力仕事だけを引き受けていた人、ゴタゴタの混乱の中で、一生懸命に現地のために働いて、名前も告げることなく帰っていった人たち。――現地の人たちには、感謝の気持ちと思い出が、ずっと残っていく。

そんな中で、住民の人たちが「あの人は本当にありがたかった」と、声をそろえて言う人がいた。
震災直後、大阪から軽トラックに乗って、ひとりやってきた。トン汁の差し入れだと言う。道具も一式、全部持ってきた。肉も野菜も、包丁まな板、そして水までの全部だ。まだ何もなかった状態の避難所では、こういう配慮が一番ありがたかった。
材料と道具さえあれば、その後も生活を続けていけるのだ。
さらに、
「自分は時間もないし、持ってくるだけしかできない。あとは、自分達でつくってくれんか。すまんな」
男はそういうと、名も告げずに去っていった。

お仕着せの親切、見当違いの支援、そして金儲けまでが横行する現場で、こういう人間もいた。

このことで、住民は「生き延びた」と感じ「そうや、生きてかなあかん」と思ったそうである。
ボランティアの精神は、失意の中の人に、生きる力を与えることもある。

男の持ってきた道具は、テント村の解散まで、台所で使われていた。

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