2005.12.27

夜にまぎれて 街を歩いてゆく 風のぬくもりに さからって 佐野元春の歌を口ずさみながら、夜の被災地を歩いた。 瓦礫になってしまった家々は片付けられていて、何もない更地になっていて、遠くまで見渡すことができる。 夜である。 […]

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2005.12.26

5月21日。テント村の解散式をやった。 あいにくの雨であった。 それでも、今までテント村に関係した人々が集まり、閑散としていた村はにわかに賑やかになった。いろんな人が来た。元住民、ボランティア(前に追い出された人たちも) […]

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2005.12.26

テント村は避難所であるから、公共の場である。 当然、外からも多くの人が入ってくる。 自分の家が壊れずに済んだ被災者や、炊き出しその他のボランティア、酔っ払いもいれば、浮浪者も入ってきた。 当時、大阪あたりから流れてきた人 […]

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2005.12.20

4月も中旬、津知町の倒れた家々も、ほとんどが撤去されていた。隣の東灘区では、まだ瓦礫のままのところも多かったが、津知町は芦屋市に属しているため行政による撤去が、神戸市よりはやいみたいだ。 もはや「瓦礫の街」というイメージ […]

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2005.12.17

被災者たち「人間」の生活がようやく落ち着いてきた頃に持ち上がったのが、「被災犬」等のペットたちの問題だった。 家や財産、家族を失くした被災者同様、行先を失った彼らの多くは、文字通り荒野をさまよった。 東灘区では、そういっ […]

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2005.12.16
カテゴリー 震災ボランティア 

多くのボランティアたちが、それこそ多種多様な関わり方をしていた。 個人、団体、県外、県内、長期、短期などの形の違い。 役に立った者、立たなかった者、ただ邪魔だった者。 いろんな人たちがテント村に来ては、帰って行った。 「 […]

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2005.12.16

津知町(つじちょう)は芦屋市の西端、神戸市の東灘区との境にあります。大阪から国道2号線を西のほうに尼崎、西宮と走り、その次が芦屋、そして神戸となります。古い街並みで、道をあらわす「辻」が「津知」に変化したというのが、町名 […]

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2005.12.15
カテゴリー 震災ボランティア 

ボランティアとは、自発的という意味だが、その中には2つの意味が含まれると思う。 やるべきことを、自ら進んでやるのか、やらなくていいことを、自ら進んでやるのか、の2つである。 今回の震災に関して、ボランティアの活躍はすばら […]

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2005.12.15

昼飯を食べ終えてから、4時ぐらいまでは一応ヒマになる。でも別に仕事がないわけではない。 昼寝をしたい者はするが、それはやがて決まった者だけがするようになっていったし、ボランティアテントの中でいちゃつく者もいた。 その間、 […]

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2005.12.15

僕が到着した時、テント村には2つのボランティアグループがはいっていた。 1つは共同風呂を管理する人たちで、芦屋近辺に住んでいて、毎日持ち回りでやってくるグループ。 もう1つは炊き出しと、物資の管理を主に、日常の雑用を引き […]

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