東京の北区役所に行って、被災地の状況やボランティアの動きについて、詳しく聞くことにした。行政どうしのつながりから、なにか情報が得られるであろうと思ったからである。
受付で聞くと、ボランティア担当である福祉課にまわされた。1週間ほど現地に入り、手伝いをしながら様子を見学してきた職員の人が説明をしてくれた。
ホコリがひどくて、マスクが必需品であること。自分の食糧として、カロリーメイトなどの軽食を用意しておくといい。とにかく交通渋滞がひどい。とても寒いので、準備は万全にしておくこと。自分用の薬を持っていけば、なにかと役に立つということ。――そういったことを、現地に入る際のアドバイスとして受けた。
ボランティアの活動状況はどうか。どのような団体があるのかも、聞いておきたかった。紹介してもらえれば、少なくとも現地で路頭に迷うことはないだろう。

ボランティアをするには、まず衣食住の3点を、自分で確保できるのかどうかという前提をクリアしなければいけない。被災者への配給の食糧や服を横取りしたり、寝床を奪ったりしたのでは、火事場泥棒と同じだ(そんなのも結構いたが)。
その3点を満たしてなお、他人の世話をしたいのであればすればよい。
ボランティアという基本は、その淡白な姿勢にある。

では今回、これらの条件を満たし、なおかつ他人の力になりたいと現地入りした人々が、手放しで歓迎されたのかというと、そうではなかった。
むしろ大混乱のなかでは、迷惑だったのではないか、という例も多い。
まずいえることは、基本的に人手はあまっているのだった。遠方からのボランティアも少なくはなかったし、なにしろ、大阪、京都、名古屋など近隣の諸府県からの人出が多いらしい。そして、それがあまりにも大人数過ぎて、名の知れた避難所には人がいっぱいになって住民が狭苦しい思いをしているということだ。
自分の車で救援物資を持っていこうという人も、渋滞に巻き込まれ、または自分が渋滞の原因になり、うまくいかない。4時間かけて現地に入り、1時間だけ手伝って、また4時間かけて帰る――それが普通だった。

そんな状況だから、もちろん被災地の市役所などにも、ボランティアが殺到する。
避難している被災者たちと混じって役所は大混乱で、人出を振り分けるどころではない。
役所の人たちも不眠不休の日々なのだ。小さな親切心を満足させるのは、後回しである。
今日明日にでも、少しでも被災者の生活が楽になるように、力を尽くさなければならない。
自然、役所のボランティアに対する態度は厳しくなる。普通のお役所仕事の日々と違って、かなり冷たい対応をされる。
民間で活動するNGO団体でも同じで、ボランティア希望者が多すぎて、仕事ははやい者勝ち、朝の9時には仕事がなくなって、あぶれる人もでてくる。まるで人足寄場みたいである。

それでは、人手はもう十分で、すべての被災生活は満足いっているのか、そうではない。今回の震災は被災者全員に絶対的なハンデを負わせた。それは消えることはないし、なにより、目立たないところで、目立たない人たち程、損害を受けている。
弱い部分にこそ、被害は集中する。
「自分はひどい目に遭っている。助けてくれ」と、大きな声で助けを求める人には、手が差し伸べられる。
しかし、大声を出せない人は、どうなるのか。深刻なダメージを受けた人たち程、目立たない場所で泣き寝入りをしている。そして本来、そういう彼らにこそ、もっと細かい、日常的な助けが必要なのではないか。

結局、実際に行ってみなければ、なにもわからないということだった。
助けを必要としている人々はいるだろう。問題は、自分がそういう人を見つけることができるか、ということだ。もし見つけられなかったら――その時は、さっさと帰ってくればいい。
なにか、博奕的な感じもする。でも、それでいい。

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