僕が到着した時、テント村には2つのボランティアグループがはいっていた。
1つは共同風呂を管理する人たちで、芦屋近辺に住んでいて、毎日持ち回りでやってくるグループ。
もう1つは炊き出しと、物資の管理を主に、日常の雑用を引き受け、テント村に泊り込んでいるグループである。

僕は後者の一員に加わった。25歳の男1人を除いては、全員学生だった。大学生協から派遣されたのもいた。そのときは5人程しかいなかったが、多い時は30人もの若者たちが、この村の手伝いをしていたそうである。そして、まだ高校生の男がリーダーとして団体をまとめていた。
というと、なんかやっぱ頼もしい奴等だと思えるが、実態はそんなに立派なものではなかった。いってみれば「デキの悪いサークル」といった感じで、リーダーは口ばかり達者で何も動かない。大人数の時はそのときで、男女の問題やら人間関係の好き嫌いやらで対立していた。

若さ故の無知と配慮のなさが、住民たちへのストレスとなっていたようである。
被災者の前で、「キャンプみたいー」と大声ではしゃいだり(考えてみれば、すごいセリフである)、男女でいちゃついたりと、好き放題である。
ある住人から「善意で来てくらはってんやろけど、ホンマ言うと、何度かキレそうになったわ」と聞かされた。
テント村には、ボランティア用のテントが2つあった。住民から借りたものだ。同じ場所で生活しているにもかかわらず、住民とボランティアの間で会話は少なかった。

住民は外の広場にあるドラム缶のまわりで火に当たりながら、なにげないことから、生活の心配のことまで話す。ボランティアは炊き出しに使っている台所テントの中で、ケラケラといちゃついている。
こういったことが続き、ある日、住民が爆発した。
「おまえら、遊んでるんやったら、帰れ!」
住民にしてみれば、たとえ不自由な暮らしでも、頑張ってやりくりしていかなければならない。それなのに、無遠慮な若者達が入り込んできて、酒は飲むは男女でいちゃつくは、非常に開放的でムカつく行動をとる。
ボランティア側にしてみれば、自分たちは一生懸命やっているのに、ここの人達はなんでワガママなんだろう、ということになる。

一時は30人いたボランティアが減ったのは、こういった背景があった。
「勝手にしろ、帰ってやるよ」と荷物をまとめて出て行ってしまった。

ここでおもしろいのは、捨て台詞をのこして出て行ったのは、男ばかりで、女の子たちは泣きながら、残って手伝いを続けたということだろう。
実際、朝から晩まで台所につめて、100人分の炊き出しを続けていた女の子たちが、テント村を支えていたと言っても過言ではない。それも、一部の女の子で、男といちゃついていたのは逃げてしまった。
「自分がいなくては、ここの人が大変だ」という責任感と、実際に仕事をきりもりしてきたのだという自信が、彼女たちをふんばらせていた。
そんなイサコザがあって人数も少なくなった時に、ひょっこりと僕が現れたのだそうだ。「こいつは逃げるのか」としばらくは観察されていたらしい。そういえば、あの当時のテント村の雰囲気は、ちょっと異様であった。

住民との信頼関係をつくっていかなければ、というのが、残ったボランティア達の課題だった。
黙々と仕事をして、余計なことは言わない。1週間ほどそういうスタイルで仕事をしていれば、自ずと存在は認められるようになった。別にお友達をつくりに来たわけではないので、仲良くされようがされまいが構わないのだが、住民との信頼関係はやはり大切だった。

「半年でも何年でも、使ってください」とかいって、テント村に来た奴がいた。
アルバイトと勘違いしているようだった。
いきなりテントにはいると爆睡し、起きたと思ったら、被災者に配る食事を勝手に食べてしまった。
なにもしないうちに追い出された彼は、以後「半日で追い出された男」として語り継がれる。

インド帰りのヒッピーと自称する男もいた。
スタミナがなくて、すぐ休む。
さらに、あること無いこと、まあよくしゃべる。
いい加減な部分が嫌われて(住民にも)、ボランティア内で浮いてしまった。
彼も最終的にテント村の住人によって追い出されることになるのだが、2ヶ月ほど頑張った。
それはそれで、心に残る奴ではあった。 

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