4月も中旬、津知町の倒れた家々も、ほとんどが撤去されていた。隣の東灘区では、まだ瓦礫のままのところも多かったが、津知町は芦屋市に属しているため行政による撤去が、神戸市よりはやいみたいだ。
もはや「瓦礫の街」というイメージはなく、遠くまで見渡せる「荒野」を思わせる。
自分の家が解体、撤去される前に、人々はそこから大事なものや、使えるものを掘り出していた。
そのことは「宝探し」と呼ばれていた。
お金をはじめ、家具、家電、宝飾品、そして思い出の品々――そういったものを掘り出す。そして、残されたものは家とともに処分される。
この「宝探し」は、若いボランティアたちが手伝うことが多かった。普通の力仕事である。
特に多かったのが、冷蔵庫だった。頑丈にできているので、つぶれた家の下敷きになっても、けっこうそのまま使えた。
1週間に3回くらいは、冷蔵庫を運び出した記憶がある。

中には、家にある品物の、ほとんどを荷造りして、ボランティアを使って運ばせる人もいた。まるで引っ越しのバイトである。茶もでない。
ある市会議員は、そうそうにボランティアを使い、自分の家の倉庫整理までさせていた。
「ボランティアは、使ったモン勝ち」といった風で、要領のいい人達はさっさと荷物を整理しては、新しい生活を始める。
要領がいい、といえば、こういう話もある。
被災して困っている人のために、200万円を無利子で貸します、という制度ができた。5年後に返済ということだ。
余裕のある被災者は、とりあえず借ります、と申し込む。そのまま、そのお金を定期預金にいれて、利子だけ丸もうけということだ。
――別に悪いことをしているわけではない。自分のまわりにある仕組みを、上手く利用するだけだ。
ボランティアでも、銀行でも。

しかし、そのように上手に立ち回れる人はよい。そういった情報も知らず、ボランティアにも遠慮するような人々は、いつも損をすることになる。
いまだに、瓦礫の中に埋もれているような人々――そんな人の力になりたくて、自分はここに来たのではないか。どうでもいい手伝いばかりして、本当に助けが必要な人に対しては、何もしてあげてないではないか。
そんな悩みが、その頃の僕にあった。

「親切の押し売り」に来たのなら、それらしく、もっとあちこちで営業に励むべきでなかったか。困っていそうな人を捕まえては、「手伝います」と売り込むべきではなかったか。
被災者と同じ場所に寝泊まりし、被災者でもないのに救援物資をもらい、配給の食料を食べ、ちょっとの手伝いをしては感謝されている。
いい気なもんだ。ずい分と楽な生活じゃないか――。

Mさんの話だ。
震災で家がつぶれ、お母さんが死んだ。お父さんは入院。40歳過ぎの中年で、独身だった。
テント村のはしっこにある、小さなテントで、一人で寝泊まりしていた。
4月になり、学生ボランティアがいなくなってからは、様々な雑用を引き受けてくれていた。
その結果、彼にだけ負担がかかるようになるのだが、彼は時々愚痴をこぼすくらいで、「みんなのためや」と言って動いてくれていた。
しかし、この人、自分自身のことは、何もしてなかったのである。
ショックも大きかったのだろう。はじめの1月は口も利かず、ぼおーっとしていた。その後、薪割りなどの力仕事を手伝ったり、夜警に参加したりと、活躍していたが、自分のこととなると、家はほったらかしにしていた。
荷物も掘り出さず、荒れるがままにしていた。現金、免許証、メガネ、みんな瓦礫の下である。
仕事も探そうとしない。
新しく生活をはじめることを、怖がっているように見えた。
「みんな、震災のせいや。震災ショックから、立ち直られへんのや」と何度も何度もこぼしていた。
Mさんのアパートの、取り壊しの日が決まった。
村の人も手伝って、Mさんの荷物を掘り出しに行った。メガネと、免許証が見つかった。その他は、服、ラジオ、ストーブ。しかし、震災からもう3か月目になる、それらは泥まみれで、使い物にならなかった。
現金があったはずだが、どうしても見つからなかった。
その日は日が暮れた。次の日も、僕はシャベルを持って、アパートにでかけた。
廃墟になったアパート。倒れた塀と家との間にある土は湿って腐って、変な匂いがした。真横に倒れた家の壁をはがし、水を吸って重くなった畳をどかす。本やレコードが、土にまみれて散乱していた。
そういう現場を見ながらの、Mさんはつらそうだった。当時の出来事を思い出すと、記憶が混乱するらしい。
「もう、ええですわ。ええですわ」
と、上の空につぶやくだけだった。

僕はなんとかして、お金を見つけてあげたかった。
この、自分が困っていることを誰にも告げずに、他人の世話ばかり焼いてくれていた人に、何かしてあげたかった。
ショベルカーも使って、何度か掘り返した。お金は、タンスの中にあるはずだということで、タンスを探すが、見つからない。
雨が降ってきて、泣きそうになった。
声なき人たちは、いつも損をするのだろうか。世の中はいつでも、そんな風にできているのだろうか。僕にはわからない。
結局、お金はでてこなかった。
さらに次の日は晴れて、掘り出したMさんの荷物を運ぶのを手伝った。
昼ごろにご飯を食べようと、ほんの1時間そこを離れた。
戻ったら、電気ストーブが盗まれていた。
「メチャクチャや」Mさんが上の空でつぶやいた。
「みんな地震のせいや」

――野球のボールがでてきたので、二人で瓦礫の上で、キャッチボールをして遊んだ。

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